介護の仕事をしてきて、僕がよく考えるようになってきたことが今回のテーマです。
「56歳の自分」「両親」「利用者さん」
僕が日々、向き合っている人間です。
それぞれ状態はちがいますが、嫌がおうでも感じてしまうのが「老い」「衰え」であります。
そして、人は衰えによって「落胆」「不安」「悲しみ」といった負の感情が生まれてきます。
介護従事者は、この老いへの「負の感情」「葛藤」から目をそらさず、向き合っていかねばならない
そんなことを学んでいく職業と思います。
デイサービスの利用者さんで元気で通ってくれていた方が、
しだいに衰えがすすんでいくことを目の当たりにすること、
また、入院や入居施設に移られていくこと、そして逝去されることも。
そんな悲しいお別れにも対面していきます。
ちなみに、うちの両親の場合は、それぞれの衰えから次第にお互いが嚙み合わなくなってきており、
「不満」や「怒り」まで生まれる場面もあり、ときどき僕も悲しみを覚えます。
介護職3年目のTSUBOには、
まだまだしっかりと受け止めきれていない、重くむつかしいテーマであります。
今回は最近あった出来事で、今も自分でひきづっている内容を伝えたいと思います。
まずは、僕自身のことから。
2ヶ月前から、右ひざ半月板損傷と、腰椎神経痛を同時に発症。
整形外科のリハビリに通いながら、仕事には影響ないのですが、
40代後半から続けている趣味のスポーツ「エスキーテニス」を休養する日々が続いております。
8年間、週2回以上続けてきた、すごく夢中になれる、僕の生きがいレベルのスポーツなんです。
コロナ期間中にはやれなかったこともありましたが、今回は自分の身体の衰えが要因だけに「歳をとってきている虚しさ」を感じざるをえません。
「治癒するまでは我慢」と自分に言い聞かせてはいるものの、好きなことができない、モヤモヤするストレスが募っていくのをこの頃は感じています。
そして僕は、先日のレク担当の時に利用者さん達に向けて、そんな自分の話を引き合いに出してから
「人はいくつになっても、何か楽しみや生きがいをもっていたいですよね」
そういう言葉を皆さんに伝えたのです。
すると、一人の女性利用者さんが
「そんなん、歳をとると、したいことも出来んようになっていくんよ!」
と、怒りを少しにじませながら、僕に訴えられたのです。
その方は要支援認定者で、お話も普通にできるし自炊も続けられていて、とても自立度の高い人です。
しかし、昨年末に持病の悪化から手術入院をされた後、復帰されてからはデイで入浴を行うようになられていた。
その方なりに、身体の衰えや出来なくなっていることが生まれはじめている、そんな葛藤に苛まれていた時期だったと、その時に気づかされました。
ショックだったのは、いつも僕にも好意的に接してくれている利用者さんで、レクの場では僕の話を上手に受けて、盛り上げてくれていた人だったことです。
いつも自分の味方になってくれていた方を憤慨させてしまった。悲しませてしまった。
「老いへの葛藤に苦しんでいる方々への、自分の発言の浅はかさ、配慮の足りなさ」
を思い知る出来事だったのです。
「老いへの葛藤」は、誰もが迎える時が来る。
そして、高齢の方々は僕たち以上に、その葛藤を何度も味わい、戦いながら生きてこられているのです。
僕たち介護従事者は、利用者さんの
「老いへの葛藤」という心境をよく理解した上で
「こちらの価値観の、浅はかな励ましをしたりするのではなく、
利用者さんの心境をそっと受け止めて思いやり、寄り添って一緒に過ごしていく」
そういう接し方をしていかなければならない
今回の出来事で、自分のまだまださを思い知り、
教訓にして、
もっと良い介護士になれるように
TSUBOのこの頃の心境でした。
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