医療的判断力の欠如を痛感

TSUBOのつぶやき

先日、職場であった出来事。

自分の「未だ未ださ」を痛感した出来事でした。

 

慢性腎不全で医師から水分制限を指示されている、女性利用者のMさん。

他の利用者さんと違い、水分量を500㏄に定めて提供しています。

9:10⇒ 100㏄、 10:30⇒ 50㏄、

12:00⇒ 100㏄+汁100㏄

13:30⇒ 50㏄、 14:30⇒ 100㏄

お茶コーナーにメモを貼って、スタッフ皆がそれに従って間違えないように提供しています。

ご本人にも決められた量のみを出すことの了解を得ており、Mさんも、飲み物をすぐ飲み干さずに少しづつ少しづつ、いつも飲まれています。

ところが、その日は14:30のお茶を飲み干してしまっていて、15:00のおやつ時に飲み物がなくなっていました。

この日のおやつはパウンドケーキで、パサつきがあり飲み物も一緒に摂取したいという状況でした。

Mさんは僕を呼びとめて

「お兄さん、一口だけでいいから水をちょうだい」と訴えられました。

僕は、近くにいた看護師に判断を仰いだのですが、

看護師の答えは、強めの返事で「ダメよ」でした。

また、離れて聞いていたもう一人の看護師からも「ダメにきまってるやろ。あんた何言ようるんね」ときついダメ出しを受けました。

きつく言われた僕はつい、もどかしさから

「一口くらいならいいじゃないか、分からんわ!」

とちょっと声を荒げてしまいました。

Mさんには「ごめんなさいね」と伝えましたが…

 

そのあと、その看護師二人が話しをしていて「どうせ俺のことを何か言うとるんやろ」

二人との空気が悪くなって口も利かないままでその後、送迎を終えて帰ってくると、

看護師から「Mさんの水分提供の配分を代えたから」と伝えられます。

「12:00のお茶を100㏄⇒50㏄に減らし、15:00に50㏄を提供することにする」

と、おやつ時に水分を摂取できるように見直してくれていたのです。

このことは、おやつ時に飲み物があるというMさんに安心をもたらす、良い見直し策になったと思います。

 

それから管理者も加わり、このことについてちょっと議論になりました。

僕の意見

「一口10~20㏄くらいなら誤差の範囲だろ。それくらいは問題ないのじゃないか?」

看護師の意見

「少しならと応じていくと、それが普通になってしまう。決めた量を守るように本人にちゃんと認識させることが必要。病院ならそうすることは当たり前のこと」

「緩くしていき、悪くなったら責任とれないでしょ」

「透析になったらどんなに苦しいか?あんたは分かっていないからそんな甘いこと言うのじゃないのか」

管理者からも

「みんなで決めたルールは、みんな守らなきゃならない」と。

最後に、看護師からのダメ押し

「TSUBOあんたそんなじゃ、この仕事、無理よ」

ここまで言われてやっと僕は、皆の考えに納得し得て、また自分の甘さを痛感して、

「分かりました。すみませんでした」

そう謝りました。

 

この日の事、僕にとっては、自分の介護士としての職責について改めて考え直す、大きな出来事でした。

介護士としての自分の甘さや、判断力の欠如さに

この介護の仕事は、利用者さんの身体に携わる仕事です。

うちのデイには、看護師が常に配置されているので

「医療的な判断状況では看護師にあずければよい」

僕はそう甘んじてきて、自らは

責任感が欠如していた』

ことに気づいたのです。

 

「Mさんの病気のことも、自分なりにちゃんと調べて理解していなかった」

ただ決められた水分を出すようにしていただけ。

それじゃ、とても介護のプロには成り得ません。

「どういう病気で、何で水分制限しないといけないのか」

そのことをちゃんと調べたり、看護師に教えて貰うなどして、理解しようとする

そういった姿勢に欠けていたのです。

それが僕の大きな欠如だったのです。

このことに気づかされる出来事でした。

(あとで、腎不全や透析、水分制限についてちゃんと調べました)

 

ちなみにうちの看護師達は僕が就職した時からの先輩で、たくさん仕事を教えてくれて、支えてくれてきた、感謝の尽きない先輩方です。

ときに厳しく叱咤してくれることも、僕を育ててくれるためと感じています。

次の日には、何もなかったかのように明るく接してくれました(感謝)

本当に本当に有難い、大切な先輩方です。

 

今回の事、

「介護士は、つねに医療知識も身につける努力を怠らない」

「看護師や同僚に頼りきらず、自ら学び、本物のプロになれるように、絶えず成長すべき」

そんなことを大いに反省し、またひとつの学びとなりました。

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