利用者さんは戦争の貴重な語り部

TSUBOのつぶやき

来年2025年は、終戦80年。

あと10年もすればいよいよ、戦時を知る人がほとんどいなくなる時代がやってきます。

うちのデイサービス利用者さんの80代後半~90代の方々は、

子供時代に戦時を過ごした、戦争の貴重な語り部です。

その方達から戦時の話をお聞きできることは、とても貴重なことだと僕は思っています。

 

うちのデイは、被爆地の広島県にあります。

被爆当時のお話を僕に聞かせてくれる利用者さんが、少しいられます。

すべての利用者さんが、語ってくれるわけではないのです。

どちらかというと男性利用者さんはとくに、語ることを避けているという印象がございます。

実は、僕がデイに入った当初に、施設長からは

「つらい時を思い出したくないという人がいるから、戦争の話は避けるように」

と忠告されていました。そういう方が多くいられるのは、事実だと思います。

なので、僕はレク担当時など皆さんに向けては、戦争に関する話をしないでおります。また、個々の方に対してもこちらから戦争の話題をふることはほとんどありません。

それだけナイーブでデリケートなこと、だと思っています。

であるからこそ、話を聞かせてもらえることは、とても貴重なのです

お話を聞く機会は、二人だけで会話をする時。

僕の場合は入浴担当になることが多いので、湯船に浸かってもらっている時間が、利用者さんのお話を聞くチャンスの時間になっています。

 

8月は、6日が広島の被爆日。15日が終戦記念日。

この時期になるとつい、戦時を思い出してしまう。

そういう利用者さんがいられるようです。

僕に時々、お話を聞かせてくれる利用者さんはお二人。どちらも女性。

これまでに聞かせて貰えたお話をここで少しお伝えします。

お一人は、90代後半の方。広島から約30キロ東の八本松町におられて、

「原爆の落ちた日の朝、飛行機がすごく大きな音をたてて西へ飛んでいき、みんなで心配していたら、広島の方から大きな黒い雲が上がってとても驚いたのよ」

「戦時中は食べものが少なくてひもじい思いをしていても、兵隊さんの苦労を思い、みんな愚痴など言えなかったのよ。今みたいに暑いくらいで泣き言を言う者はおらんかったんよ」

もう一人は、80代後半の方。当時小学生で西条町に住んでおられた。

「原爆が落ちてすぐ、被爆者がたくさん列車で西条に送られてきたの。西条は大きな病院が2つあったけん。見るに堪えん酷い状態の人でいっぱいだった。駅前はすごかったんよ。お姉ちゃんたちがみんな手伝いに駆り出されたよ。私は小さいから何もできずに見とった。みんなが口々に『水を飲ますな!死ぬるぞ』って叫びょったんを覚えとるよ」

「戦時中、西条小学校では授業もせずに運動場に皆でジャガイモを植えたり、風呂桶にイナゴを一杯入れて煮て、給食で食べてたんよ。食べるもんがなかったんじゃけん」

こんなお話を聞かせて貰えています。

一度聞いたら、忘れることができないインパクトのあるお話です。

 

「戦争を思い出したくもない」そういう方はとても多いと思います。

そのため、戦争の語り部は非常に少ないのが現実なのです。

今、80代半ば以上の利用者さんは戦時を知る貴重な方々です。

僕は、これからももっとお話を聞いていきたい。

だだし、ご本人さんのつらかった思いをちゃんと理解したうえで、

少しずつお聞きしていきたいと、考えています。

 

明日15日は終戦記念日。

当時を知らない僕達も、戦時の大変さを感じとり、

平和を祈りたい

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